僕らはいつだって強気で無敵だった

みんながみんな何にお金を使うのかなんてそれこそいわば「個人の自由」。



大事なのは使ったあとに何が残るか、何を残せるのかだと思う。

きっとキラキラした毎日を送るであろうあそこの女子高生も、
好きな人のためにショーウィンドウの前で悩み続ける青年も、
みんなから貰ったお年玉を握りしめている少女も同じ貨幣価値からどれだけのものを産み出すのかそれを決めるのは自分自身。


あなたが3パターンの服を着回していようが、半額で買った野菜を食べようが、そこまで他人のことを気にしている人なんているのだろうか。

  1. 派手なご飯を毎日食べる
  2. 豪華な服を数回着る

なんてするぐらいなら大切な人のために花でも買った方がきっとずっと思い出に残る。

一年後の今日、「一年前の自分」を思い返した時豪華なご飯を食べていたではなく、
大切な家族・友人・恋人のために花束をプレゼントしたという記憶はあなただけでなくあなたの大切な人の記憶にも残るだろう。


つまり何が言いたいかって言うと
人は人のことをそんなに気にしてはいない。それなら自分の大切な人の心のずっと深くに残れるような経験をしたい。



ここで言いたいのは無駄遣いをしろってことではなくて勿体ないと切り捨てるのはいつも「お金」の方であっていいのかということなんですよね。
勿体ないからやめる。そこで選択肢を捨てたことを、せっかく思いついた考えを捨てることを、勿体ないと思うのも大事なのではないかなと思う。


16歳の自分に教えてあげたい。今しか出来ないなんてありふれた言葉にうんざりしてそんなことはないんだ。今できることは将来もできるに違いないと反感を覚えていた自分に。無敵だった。
何でもできる。そんな気がしていた。
あの時の自分は魔法にかかったように時間も自由も自分の周りにはいっぱいあって時はゆっくり流れているものだと信じてやまなかった。
今しか出来ないは、今自分に出来る精一杯をやっておかないと後悔する。後悔したって気づいた頃には時間も自由もない。という事だと思う。
自分の捨てた選択肢を拾い集めてもう一度選ぶチャンスがあるなら私は間違いなく経験を選ぶだろう。それが多少値をはるものだったとしても。